アジアは世界でおそらく最も豊かな文化を持つ地域です。西洋では、アジアの文化というと迷信や神秘主義を連想する人が多いようですが、それが必ずしも間違いというわけではありません。ただし、良い意味での話です。アジアには文化だけでなく、宗教も数多くあります。これらが重なり合って、豊かな歴史を築き上げているのです。日本の歴史もその例外ではありません。 そこで今回は、日本のジュエリー作りの実践と、その文化的伝統の内側を覗いてみることにしましょう。 日本のジュエリー作りの黎明期 紀元前1000年から6世紀に至るまで、日本の宝飾品は、長さが1インチ(約3cm)ほどで英語のコンマのような形をした石が主流でした。元々は緑色のヒスイを使ったものが多く、後にはガラスも使われるようになるのですが、それらは勾玉(まがたま)と呼ばれ、ほとんどがペンダントやビーズとしてネックレスに付けられるようになっていました。
勾玉が何を意味するものだったかははっきりと分かっていませんが、お墓に入れられていたようです。韓国でも似たようなものが見つかっており、3世紀から6世紀にかけてのものと見られています。